LINEポイント兼業P‐ブロガー’s blog

仕事をしながら趣味の内容や投資(株式・FX)の内容を記載し、サラリーマンとして働きながら副収入を得る方法を探っていく、兼業を確立していく過程のブログです。

#「迷い」と「決断」

2019/05/22/0:24
こんばんは kengyoup-blogger 兼業P-ブロガー です。

今回はキャンペーン企画の #「迷い」と「決断」 です。

 

 

  • 16才 職業の決め方

 

自分の腰痛と祖母の膝痛→手術を経験して、自分や自分の周りの人の為になる職業を目指す。
1種類の職業に早い段階で絞る事は、その道に進んだ場合は成功率が高まるが、
違う道に進む場合には、 “ツブシがキカナイ” という状況になる。
しかし、現在の職業を目指す事を16才になる年に決定した。

 

  • 18才 進学先

 

実家近辺に大学・専門学校があり、大学は国公立しか無かった。
当時の偏差値で65-70程度の数値が必要であり、
自分には到底不可能な数値に見えた。
センター試験で言うと80%程度の点数が必要であり、自分は50%程度だった。
高校生になってから、高3の夏休みになるまで、まともな勉強をしていなかったから当然である。
何とか偏差値50程度の専門学校には合格できた。
専門学校に行きたい気持ちが沸かず、浪人して大学を目指したい気持ちでいたので、入学式の4月1日に実家のベッドの上でしばらく考えていた。
結論は専門学校に通う、という事だが理由は4年制専門学校を4年間で確実に卒業する為に、この学校を選ぼうと決めた。

 

  • 19才 2ヶ月連続事故

 

専門学校に入学してから自動車免許を取得して、実家から1時間以上かけて公共の交通機関で通学していた行程を、
車で30分程度で通学できるため、免許取得後19才になる1ヵ月程度前に購入した。
19才になった当日、緩い上り坂で後方へ下がり、後ろのトラックにゆっくりぶつかった。
私の車はMTです。
その1か月後、駐車場に前方から止めてバックで出る際に、右隣の止まっていた車とぶつかった。
右隣の運転手が駐車場に立っていて、すぐに出なければと急いだためです。
ぶつかった道も、駐車場での駐車方法もすぐに当日に練習した。
車の運転が嫌になったし、毎月事故を起こすのではないのか、自分は運転をしないほうがイイのか?
と思いはしたが、これから生涯運転をしないで生活していくのは不可能だと思うし、
将来結婚して夫・父の役割として自動車運転が付き物だと考えていたので、
事故を起こす確率が常に付きまとうものだ考えて運転を続けた。

 

  • 22才 実習不可判定→進級(卒業)不可

 

私の進んだ職業には、毎学年実習があった。
4年生で22才になる年の実習で判定が不可となった。
私が選んだ専門学校は実習の判定が不可になると進級できず留年が決定する。
他校には追加実習という制度があるらしいが、私が選んだ専門学校には無い制度だ。
実習の評定は実習指導者と学校での発表で決まるが、実習指導者の判断が最優先されるため、
どんなに素晴らしい発表をしても実習指導者が不可を判定すると覆る事は無かった。
そしてモチロン私は追加実習には行けず、4年生4年間での卒業が不可能になった。
私ではない同じ学校の同級生は、他の実習先の指導者から追加実習を行くように言われ、
追加実習に合格して無事に4年間で卒業して、私の職業上の【先輩】という立場になった。
全て22才になる日の前後数日での話。
後に聴いた話では、私の実習を指導した1人のスタッフは無くなったらしい。
無くなった原因は、事件・事故・病気ではないと伝えられた。

 

  • 23才 留年生

 

進級・卒業が出来なかった為、留年する事とした。
元々留年する事となったら、退学しようと考えていた。
自分以外に留年を経験した“先輩”を見ていると、どー考えても辛い現実が待っていると感じたからだ。
“先輩”に直接留年する事が辛いかは質問した事はないが、
留年が決まりもう一度同じ学年を経験してから退学する確率が高い事や、
自分と同い年の【先輩】を見てうらやましいと感じるのではないか、
試験と実習を繰り返してハードルを乗り越えるチャレンジをする事が「辛い・嫌だ」と言っている【先輩】を見聞きしながら、
チャレンジする事も許されない立場に居る事を耐えなければいけない様に見えたからだ。
実習前試験をクリアして実習に臨む事はできたが、私が選択した実習先が実習直前で断ってきた為、違う実習先になった。
22才時も23才時も前回実習に挑戦した“先輩”が不可の判定をされた場所だった為、
私を卒業させたくないのだと感じた。
元々学校に対して強い信頼があったわけではないが、筋を通していれば、ある程度配慮・考慮してくれるものだと思っていた。
しかし、22才時の追加実習の件や23才時の2年連続“先輩”が行った実習先に行かされた事から完全に不信でしかなくなった。
もちろん、上記だけではないが。
実習結果はギリギリの可を貰えた。
学校の卒業試験や就職の為の試験等もクリアできた為、卒業・就職できる事となった。
ここまでの話なら、1年間我慢して無事卒業・就職となると思うが、
私の感覚では実習不可が決まった瞬間からの戦い・忍耐の為、19か月間の我慢だった。

 

  • 24才 就職、独り暮らし

 

【先輩】より1年間遅く、就職する事となり、
一般的には、1からのスタートや、0からのスタートという表現が使われると思いますが、
私の感覚では、 マイナスからのスタートだと感じていた。
実習が不可となった過去がある事は基準に達していないと判断される可能性があり、
【先輩】と比較すると成長が遅い理由になると考えた為だ。
私は寒い地域が嫌いで、暖かい地域が好きです。
沖縄に21才の時に一度下見に行きましたが、
留年をして両親に迷惑をかけてきた事や、
自分自身が不出来な社会人である現実を考え、
親元から遠くない、車で1~2時間程度の地域に就職する事を決めた。
この年から一人暮らしで、親戚・知り合いも居ない地域だった為、
独り暮らしの表現が合っている気がする。
就職して3か月程度は、毎日走って職場内を移動していた事や、
自分の中では一番仕事の量としてはこなしているつもりだった。
そのためか、帰宅→入浴→調理→食事をしていると、
21時頃に食事をしながら眠ってしまう事が何度もあった。
モチロン口の中に食べ物が入ったままで。
自分が子供の頃も、食べながら寝ていたらしい。

 

  • 25才 市内発表

 

就職をして2年目、
職場の先輩に頼まれて、地域の発表会に演者として出席する事が決まった。
後の認定資格を取得するためには必要なステップの一つで、
この発表を無事終えられれば認定資格の受験を目指すためのコースをほぼ修了できるものだ。
職場での情報収集や原稿作り、もちろん今までどおりの業務もこなして、
発表2か月前から、眠たいのに寝られない状態になった。
AM3時頃に何度も目が覚めてしまう状況になった。
おそらく発表に向けたストレスによるものだと感じた。
自分がこんなにストレスに弱い人間だということに気づかされた。
発表自体をすることも嫌だったが、発表までの準備がそれ以上に嫌で、
常にストレスを強く感じていたのだと思う。

 

  • 27才 被災地業務、実習指導者

 

就職をして4年目、
震災による被災地業務を命令された。
震災が起こって1ヵ月以内に命令が出たが、自分はインフルエンザの疑いがあってすぐには行かなかった。
それでも2か月経過した頃にもう一度命令があり、被災地に向かう事となった。
業務内容は事務作業や車の運転等一つ一つの作業は簡単な軽作業といえる内容だった。
しかし、放射能が現在地よりも高く・地震が何度も頻回に起こる環境で・不慣れ地域・ライフラインも整っていない。
そんな環境に仕事をしに行く事が、被災者よりも大変な期間なのではないかと感じた。
業務時間も連続24・29時間と拘束時間も長く、無意味と思われる事務作業も沢山あった。
職場に戻ってから実習指導が始まった。
自分は元・実習生であり、留年生であり、留年した理由が実習にあった事からも実習に対してマイナスな感情しかない。
実習自体も、実習生も、実習指導者も今現在でも嫌いな存在であり、
そのような感情がある人間が指導者になるのは、いかがなものかと思っていた。

 

  • 28才 全国発表

 

就職をして5年目、
全国規模での学会に発表するように命令された。
特に自分では発表・研究したいものが無かった為、
身近にいる偉い先生の興味があるものを利用して、
その先生も巻き込んで発表しようと考えた。
それが災いしたのか、
以降発表そのものと関係が無い状況で、
同じような研究・検査を3年以上続けた。

 

  • 29才 他職種資格不合格

 

就職をして6年目、
多職種の資格の受験資格を得た。
特に興味のある分野ではないし、
業務上強く必要とする分野でもないが、
自分自身の知らない情報や、
今後のキャリアマネジメントを考えると、
不合格でもイイから勉強と受験をしようと考えた。
最初は25%→最後は55%まで正答率が上昇した。
しかし、合格ラインは80%程度だったため、
合格までは遠く及ばなかった。
もう一年続ければ55+(55-25)=85%で合格ラインを超えられたかもしれない。
しかし、勉強は平日22~23時程度をスタートとして1~2時間程度、
野球の練習終わりにチームメイトが食事に誘ってくれても、
勉強がある為断らなければいけない状況だった。
そんな環境にもストレスを強く感じ、睡眠時間も削り、
視力もだんだん落ちていった。
1.2/1.0が0.8/0.7程度になった。

 

  • 31才 土地購入

 

就職して8年目、
自宅・自分の城が欲しいと思った。
元々住宅願望があって、26才頃からGWのキャンペーン等には参加した経験があった。
職場付近・徒歩1分の場所に土地を考えていたが、
しばらくすると、その土地で工事が始まった。
売りに出していた看板も見当たらなくなり、
誰かが土地を購入したのだと、とても落ち込んでいた。
その後看板がもう一度立ち、自分の土地となった。
おそらく水道管工事をする為に物置スペースとして使っていただけなのかもしれない。
自動車購入以上の現金を手元に置いての売買は、この先もう無いのかもしれない。

 

  • 32才 住宅ローン

 

就職して9年目、
住宅ローンを組んだ。
35年間で数千万のローン=借金。
自動車ローンや奨学金も無いため、人生の初借金が年収の6倍程度の借金となった。
何とも言えない重圧感・肩に乗っかる重みを感じた。
残りの返済金額を毎年見るだけで、胸に何かがあるような感覚になるが、
少しずつ返済できて一歩ずつゆっくり進んでいけている実感があるので、
自分には住宅ローンが合っているのかもしれない。

 

  • 34才 本職認定資格不合格

 

就職して11年目、
現在の職業の認定資格を受験する事にした。
受験に必要な研修の有効期限が今年度で切れてしまうため、急いだ格好だ。
2年程度前から必要なポイントを収集しながら、
書類も1年以上かけて作成し、試験4ヵ月前に申し込み。
4ヵ月の筆記試験対策勉強を行ったが、試験結果は不合格だった。
ミスドドトール・モス・マック等色々なお店での勉強・書類作成、
もちろん職場や自宅でも行ってきた。
それらの事が全て無駄と言ってもイイと思える結果になった。

 

  • 35才 本職認定資格合格

 

就職して12年目の現在、
先日合格発表があり、自分の番号が掲載されていた。
まだ、合格証書が無い状況なので、もしかした誤植かもしれない。
今回の試験を受験するにあたり、
書類の再提出・一部有効期限が切れたポイントの再取得・より綿密な試験対策が必要になった。
今までどおりでは不十分である事は分かっていたが、反対に言うと今までの努力では足りない、
もっと10か月間で量をこなさなければならないと分かっていた。
それでも、一度折れた心を立たせるために1日かかり、妻・職場の仲間に報告して、もう1年だけ挑戦させてもらう事とした。
ポイントの再取得と、そのポイントの講習からペーパーテストに問題が出るので表・暗記シート作成、
書類の不合格理由をもとに情報の付けたしを行いながら、
試験4ヵ月前に申し込み、並行して試験対策も9か月間は行った。
必ず毎日・毎週できたわけではないが、
平日は20~21時スタートで、1時間試験対策・1時間休憩・1時間試験対策・就寝。
休日は9~10時起床で、ミスドの朝メニュー299円ドーナツ&おかわり自由コーヒー、
13時前後にランチを食べて、帰宅休憩。
15~16時頃にドトール等で1~2時間滞在し、
夕食後も少しでも試験対策に費やして、5時間程度は粘っていたと思う。
勉強・努力・スポーツは質の良さが大切だが、量の基礎があっての質なんだと感じた期間だった。
もう2度と、これだけの努力を認定資格に費やせないような気持ではある。
妻に家事を全てやってもらい、満足に運動をできず体重も増え、
元々少ない友人・職場関係者とも疎遠になったと感じた。
仕事仲間にも私がやりたい分野の仕事を優先的に回してもらう事や、試験対策の為の有給を使わせてもらう等、
周りの皆さんのご協力の賜物です。

 

これらの経験をどー生かすかは、これからの自分次第。
これからも資格に限らず色々な事に挑戦しなければいけない事も分かっている。
まとめると、 『大変、頑張った、苦しかった、でも良かった』

以上です、読んでくれた方、ありがとうございました、失礼します。